2021年5月14日
第8回「山本美香記念国際ジャーナリスト賞」 決定
一般財団法人山本美香記念財団は、5月5日に行われた第8回「山本美香記念国際ジャーナリスト賞」の選考会の結果、本年度は本賞に2作品の顕彰を決定。下記の受賞者に贈呈することといたしました。
<本年度の受賞者および対象作品>
ドキュメンタリー作家の小川真利枝氏(37)による著書
「パンと牢獄 チベット政治犯ドゥンドゥップと妻の亡命ノート」
(集英社クリエイティブ)
小川真利枝氏プロフィール : 1983年フィリピン生まれ、千葉県で育つ。2007年テレビ番組制作会社に入社、2009年よりフリーに。ラジオドキュメンタリー「原爆の惨禍を生き抜いて」(2017年)(文化庁芸術祭出品、放送文化基金賞奨励賞)、ドキュメンタリー映画「ソナム」(2014年)、「ラモツォの亡命ノート」(2017年)、ラジオドキュメンタリー「10年目の福島からあなたへ〜詩人・和合亮一が刻む生きることば」(2021年)(NHK放送総局長特賞)
フォトグラファーの小松由佳氏(38)による著書
「人間の土地へ」
(集英社インターナショナル)
小松由佳氏プロフィール : 1982年、秋田県生まれ。2006年、世界第2位の高峰「K2」に、日本人女性として初登頂(世界では女性8人目)し、植村直己冒険賞などを授賞。2012年からシリア内戦・難民をテーマに撮影を続ける。著書に「オリーブの丘へ続くシリアの小道で ふるさとを失った難民たちの日々」(河出書房新社)。
本年度受賞者および対象作品 |
第8回「山本美香記念国際ジャーナリスト賞」 〇フォトグラファーの小松由佳氏(38)による著書、 正賞: 〇村上祐介氏 「エクソダス アメリカ国境の狂気と祈り」(新潮社) 選考委員:岡村隆(編集者、探検家)、笠井千晶(ドキュメンタリー監督、ジャーナリスト)、河合香織(ノンフィクション作家)、髙山文彦(作家)、吉田敏浩(ジャーナリスト) 選考委員選評: 難しい選考だった。少し視点をずらして見れば、どれが大賞であってもおかしくない候補作がそろった。したがって、選考会は主にその「視点」をめぐっての議論となった。 小川真利枝さんの「パンと牢獄」が文章表現に最も優れ、チベット難民女性の苦悩と、それとは裏腹のダイナミックな動きを追うことで問題の世界的広がりを示し、生き方への共感を呼んだ。 また、小松由佳さんの「人間の土地へ」はシリア内戦や難民の生活実態を、自身が当事者となったことで、その背景文化まで遡って内側から丹念に描いた稀有な作品であることがともに評価され、二作同時受賞となった。 |
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授賞式 | 日時:5月26日(水) 18時より 場所:日本記者クラブ コロナウイルス感染症の影響で延期された昨年度の第7回山本美香記念国際ジャーナリスト賞の授賞式も、併せて行ないます。 「第7回山本美香記念国際ジャーナリスト賞」 ジャーナリストの坪井兵輔氏(49)による著書、「歌は分断を越えて 在日コリアン二世のソプラノ歌手・金桂仙」(新泉社) 「第7回山本美香記念国際ジャーナリスト賞・奨励賞」 ジャーナリスト/ドキュメンタリー映画監督の大矢英代氏(34)による著書、「沖縄『戦争マラリア』―強制疎開死3600人の真相に迫る」(あけび書房) ※入場は報道および関係者のみ。 取材希望のメディアは当日、会場にて受付けを行ないます。また、授賞式、受賞者へのインタビューなどは後日、YouTubeにて配信予定。 |
<選評> 岡村 隆
難しい選考だった。少し視点をずらして見れば、どれが大賞であってもおかしくない候補作の3作品。したがって、選考会は主にその「視点」をめぐっての議論となった。
まず、村山祐介氏の『エクソダス』は、「トランプの壁」で注目されたメキシコからアメリカへの大量移民流入の現実を、その背景や源流まで描き尽くそうとして成功している力作で、ジャーナリズムの完成度という点では一番の評価だったが、全体に新聞記事的な印象が強いという点と、氏の力量がすでに一定の評価を得ていることから今回は外れてもらうことになった。
残りの2作を同時受賞としたのは、小川真利枝さんの『パンと牢獄』が文章表現に最も優れ、チベット難民女性の苦悩と、それとは裏腹のダイナミックな動きを追うことで問題の世界的広がりを示し、生き方への共感を呼んだこと、小松由佳さんの『人間の土地へ』がシリヤ内戦や難民の生活実態を、自身が当事者となったことで、その背景文化まで遡って内側から丹念に描いた稀有な作品であることがともに評価され、いずれも落とせなかったからである。
ただ、『パンと牢獄』には、中国で政治犯となった夫の獄中生活の描き方や、再会した一家のその後の描写について不満も述べられ、『人間の土地へ』には、難民のなかでも弱者である女性や子供たちに向ける著者の視線に弱さがあるのではないかとの疑義も出された。
このうち後者については、イスラム世界や遊牧社会における女性の地位、夫婦関係、幼女婚など現地独特の文化や習慣、社会制度を、取材者がどう捉え、どう描くかという問題が含まれている。外から見れば一見奇異な現象でも、そこに厳然と成立している暮らしや文化をどう受け止めるかは、取材以前に人が異文化を理解して入り込んでいく上での前提となる感覚や資質の問題でもあろう。
そこに柔軟さが求められる取材者のありようと、普遍的な「人権」の概念の取り扱いには、ときに矛盾や相克が生じる。自分の異文化理解に浅薄さはないか、選考の焦点の当て方はそれでよいのか、と選考委員たちにも矢が跳ね返ってくる難しい課題だが、結局、著者の小松さんには、取材地で女性や子供たちの声に耳を傾けてきた山本美香さんからの付託という形で選考会の声を届けることになった。数奇な自身の人生と過酷な環境を丸ごと受け入れてなお取材に励もうとする「強靭な柔軟さ」を持つ小松さんなら、きっと今後への糧としてくれるだろう。
<選評> 笠井千晶
小松由佳さんの「人間の土地へ」を拝読し、人の営みへの寄り添いと限りない共感が、小松さんの揺るぎないモチベーションになっていると感じた。登山家として自身が命の危機に瀕した体験から、「人間がただ淡々と」そこに生きている姿こそが尊いと気付き、その想いが、やがてジャーナリストの仕事として昇華されていく。
数年越しでシリアの人々に受け入れられ、彼らの飾らない素顔や本音を伝えてくれた。専門家の解説ではなく、顔の見える人々の姿から、複雑なシリアという国の実像を鮮やかに描きだしていることに驚いた。内戦が起こり、豊かな風土に恵まれた日常が崩壊していく様子が、一人の目線から、現在進行形で伝えられる。その眼差しと行動力は、本賞にふさわしいと思った。
小川真利枝さんの「パンと牢獄」については、逮捕・投獄されたチベット人政治犯の一家の行く末を、息の長い取材によって伝えた粘り強さに敬意を表したい。特に物語の軸となる妻の、強くしなやかに生き抜く姿が魅力的だった。
ただ10年の取材には空白期間もあり、一家の道のりを描くという意味では物足りなさを感じた。また言葉の壁もあり、小川さんと一家の夫との関係性については不十分な印象で、もう少し時間をかけて亡命後の姿まで描いて欲しかった。それでも尚、引き裂かれた家族が越境し再会する場面や、亡命に成功した夫の貴重な証言を記録した点などは、奇跡のような素晴らしい仕事だと感じた。
村山祐介さんの「エクソダス」は、米国境に押し寄せる移民の、漠とした全体像を明らかにした取材力・調査力が他候補に対し抜きん出ていた。移民の政治的・経済的な背景に迫り、同時にその「越境手段やルート」を自ら辿るスタイルは、読者の自分も旅をしているような感覚で、引き込まれた。
村山さん個人として、南米への思い入れを綴っている反面、移民達の生々しい窮状やその日常生活からは一歩引いている印象がある。問題を大局的に俯瞰して伝えるのは一般的なマスメディアの手法ではあるが、人々の息遣いを伝え続けた山本美香さんの遺志を継ぐ本賞においては、大賞から外れると感じた。
<選評> 河合香織
候補作三作のみならず、応募作も非常にレベルが高く、どれもが取材力、文章力、読み手の胸を打つ発信力ともに優れていた。何をもって選考するか、委員のなかでも議論されたが、「国際報道に関わる新たな担い手の誕生を期待」という本賞の趣旨に沿っての選考が行われることになった。ゆえに、選に漏れた作品が劣るということはなく、むしろその人たちはすでに大きな評価を得ているということが今回選から外れた理由であると考えている。
『エクソダス』は、完成度が高く、徹底したプロの仕事だと感じた。「私たちが抱える壁とはなにか」を多角的、複眼的に検証し、自分がそこで見たものだけを真実だと見誤らないように慎重に検証を重ねる姿勢は秀逸だ。とはいえ、客観的な報道に終始するわけではなく、著者自身の視点も冴え渡り、この問題を自分の頭で徹底的に考え抜いたことがわかる。生涯にわたって書き続けるという気迫が伝わってきた。
『パンと牢獄』は、チベット人政治犯の妻が主人公だが、悲愴感漂うかわいそうな妻ではなく、自分のこの生を強く生き抜いてやろうと運命に凛と立ち向かう生活者としての彼女の生き様に焦点を当てたところがすばらしい。文字が読めないなかで、未明からパンを作って路上で売り、国を渡って生き抜いてきた。政治や難民問題など大きな視点で語られるところを、視点は私たちと同じく低く、そこに生きる人間の姿から問題の本質を浮き彫りにしたところに胸を打たれた。受賞作に相応しい力作で、チベットのことを考えたことがない人たちにも、その思いを届けられる作品だと考えた。
『人間の土地へ』は、平和な砂漠の暮らしが一転し、シリア内戦から難民になった人々の姿を描く作品で、著者もその青年と結婚することで当事者になっていく。読んでいて激しく気持ちが揺さぶられ、本を閉じたあとも、あの人は今どうしているのだろうと思いを馳せるような強い力を持っている。相手の文化や価値観をそのまま受け入れることが重要だという著者の信念は、砂漠の風景とともに心に舞い込んで、まさにそのとおりだと共感した。ただ自国の文化を是とする女性や少女もいるが、一方その苦難を命をかけて訴えた証言も世界的に数多く報道されている。その背景には何があるのかにまで、ポリフォニックな声が聞かれるとさらにすばらしいのではないかと感じた。
<選評> 髙山文彦
今回の候補作はいずれも単行本三作で、どれが受賞してもおかしくない優れた作品ばかりだった。仰ぎみるように私はこの三作を候補選出まえから読んでおり、選考にかけられたらどうしようかと思っていた。
三作とも難民が主題となっている。これは現代史の暗部を象徴する大きな出来事で、ジャーナリズムがとりあげねばならないテーマなのであるが、日本のジャーナリズムはこれに弱かった。しかしながら村山祐介さんの『エクソダス』は、米・メキシコ国境に向かう命がけの家族たちのドラマを本人も命がけで追いかけ、ひとりひとりの声を細大漏らさず伝えて圧巻だった。
国家という巨大な暴力装置が虫を踏みつぶすように民衆どうしに殺し合いをさせながら、さらなる富を築いていこうとする構造のしぼり汁が難民であるということは承知していたが、その源流と現実の国境を現地に訪ね、生々しい人びとの姿を描き出したのは初めてではなかろうか。三百人前後の声を村山さんは直接聞きとり、ひとりひとりの生年月日まで記録に残しているという。すでに同取材と記事でボーン・上田記念国際記者賞を受賞(本書は大幅に加筆され、書き下ろしに近い)しているのを勘案して、今回は残念だったけれども、その類まれなジャーナリスト精神に敬意を表します。
授賞二作は、難民を主題にしたものとして限定するには、作者の意図も描き方もはるかにその範囲を超えている。二人はそれぞれの場所で、それぞれの立場から、人間存在というものに大いなるなにかを感受し、難民となった(させられた)人びとを通して、この地球に人間が存在することの尊い意味を見出していこうとしている。村山さんは群像を描いたけれども、二人は少数の個人を通してこの世のありさまとその向こうにある光源について描き出している。
小川真利枝さんの『パンと牢獄』は、文章がとても読みやすくてよかった。ダラムサラの路上でパンを売るひとりの女性に出会うところから、この波乱の運命に翻弄されているチベット人難民との十年におよぶ長い旅路がはじまる。
小川さんは、主人公である彼女と、中国共産党によって逮捕投獄された政治犯の夫との再会前までの記録映画を撮っているが、そこでは描ききれなかった細部をこの本で再構築し、再会後の夫からは投獄生活と亡命までの長い道のりを詳細に聞きとっている。それは離散した家族の物語であり、子どもたちとの日常生活であり、そして夫への思いであったりするのだが、目線を低く落としたところから叙述される中国のチベット侵攻の歴史とそのありさまは、何千もの猛獣たちに蹂躙される民衆の叫びと血しぶきが見えてくるようで、チベット人社会の現実の姿が胸に迫ってくる。
第五章は、アメリカに亡命し妻と再会した夫へのインタビューで占められている。文章の運びが変わったとの意見も出て、私も同様の感想をもっていたが、この章は世界で最初の貴重な証言を伝えたこと自体に大きな価値があると評価した。
小川さんの十年は、順調に来たかに見えるがそうではない。多くの人びとと協力関係を結ぶことも、夫にその苦痛きわまる経験を語ってもらうことも、時を得られるまで辛抱づよく待たねばならなかった。本人もつわりのひどい体でアメリカまで行って、命がけだったろう。忍んで待つ力も優れた資質なのだ。本賞にふさわしいと思い、私はつよく推した。
小松由佳さん『人間の土地へ』。まだ平和で、パルミラの遺跡も町も破壊されていなかったシリアを訪れた小松さんは、現地で出会ったシリア人とやがて結婚し、当事者となった。だから本書は「私」の視点ですべてが物語られ、目線も低く置かれて、内戦に突入していく日常の変化が、生活誌とともに描き出される。
食料は欠乏し、仕事も途絶え、主義主張の是非などおかまいなしに、ただ空腹を満たすために政府軍へも反政府軍へも志願する家族や友人たち。町は殺し屋の巣窟だ。私たちの知り得ぬ市井の人びとの地べたの内戦史を描き出す筆力は、みずからも難民となりながら、いつもどこか遠くを見ているような清々しい視線によって、重苦しく沈みこまず、華やかにさえ感じられた。
ヒマラヤの山々に「命が存在することの無条件の価値」を気づかされたという小松さんが問いかける「まだ見ぬ人間の土地」のありかを、私も訪ねてみたくなった。おびただしい人びとが拷問をうけ、虐殺され、難民となっている。その現実を無視して読めば、神話のような物語だ。イスラムにおける男尊女卑のありようを無批判に書いているとの意見も出たが、それを受け容れてもなお優れて価値ある作品だった。
<選評> 吉田敏浩
『パンと牢獄』小川真利枝
中国のチベット抑圧の現実を世界に訴えるドキュメンタリー映画を撮ったことで、投獄されたチベット人政治囚が、アメリカに亡命するまでの苦難と、チベット難民としてインドからアメリカに渡ったその妻の夫の無事を願う日々、そして再会にいたるまでの二人の曲折に満ちた足跡を丹念につづった作品である。
チベット仏教の信仰を支えに、自由を求めて生き抜こうとする二人の姿を通して、チベット現代史の受難が浮き彫りになる。長年にわたりひとつのテーマを追って記録した著者の、多面的な視点から人間のありのままを見つめる視点も光っている。
『人間の土地へ』小松由佳
シリア内戦前の、独裁体制下にありながらも平穏だった沙漠のオアシスで、フォトグラファーの著者はひとりの青年と出会った。彼は放牧する百頭近いラクダの一頭一頭を見分けられるという、まるで沙漠の申し子のようであった。後に二人は結婚する。しかし、そこにいたるまで、巻き起こったシリア内戦の混沌が、青年とその家族を翻弄し流離の境遇へと追いやる。青年と著者は遠く離ればなれの試練を強いられる。
沙漠のオアシスで着実な生をいとなんでいた青年一家と深い交わりを持ち、戦乱をくぐり抜けた末に難民となった青年と結ばれた著者だからこそ、シリア内戦の悲痛の深淵を内側から刻み込むように描けたのだろう。いまなお続く内戦によって、シリアの人びとが余儀なくされた喪失の計り知れなさが伝わってくる。
『エクソダス』村山祐介
とめどを知らぬグローバル化が世界中で貧富の格差をひろげ、無軌道な開発が人びとの生活基盤を揺るがす。「貧困、治安悪化、政情不安」などの理由から、移民としてアメリカを目指す中米各国の人びと。その流れにアフリカや南アジアからの移民・難民も加わる。それをメキシコとの国境で押し止めようと壁建設に狂奔するトランプ大統領下のアメリカ。
この「生きるために国境を越える」人間たちの「エクソダス」の現場を、著者は国境の両側で、さらに移民キャラバンの渦中に飛び込んで多角的に取材する。出会った移民・難民とその支援者の声と姿を印象深く点描し、政治・経済・社会的背景の分析も各国の専門家から引き出す。惜しくも受賞にはいたらなかったが、グローバル化した現代世界が抱える解決困難な問題を、シャープな焦点深度で掘り下げた力作である。