一般財団法人 山本美香記念財団(Mika Yamamoto Memorial Foundation)

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2020年5月26日
第7回「山本美香記念国際ジャーナリスト賞」受賞・坪井兵輔さん 
受賞の言葉

 今般のコロナ禍の不自由な日々の中、犠牲になられた方々の痛苦、ご遺族の悲嘆はいかばかりかと拝察します。栄えある受賞を言祝ぐ前に、心よりお悔やみ申し上げます。このパンデミックは不寛容な言説が拡散し、偏狭なナショナリズムに駆動された国家と国家、市民と市民を分断するインフォデミックの伝播も引き起こしています。山本美香さんが生を賭して立ち続けた現場に根差す意味、FACTをして語らしめるジャーナリズムの意義が今、改めて問われています。

 本書は歌で分断を乗り越え、歌で故郷を描きたいと願う在日コリアン二世の女性の記録です。韓国と北朝鮮、朝鮮半島と日本、日本と在日・・・・・・、歴史や領土、核開発や拉致問題など分断の古層には祖国を失い、異国に置き去りにされた人々の声なき声が沈潜したままです。過去の克服は未だなされず、相克の残滓は間(あわい)に生きる草莽の民に分断を背負わせます。在日コリアンも北と南に引き裂かれ、なかでも二世は故国を偲ぶ一世と、日本で生まれ育った三、四世との間で翻弄されました。たった一人の在日コリアン二世の歌が分断を超克する道標になると願うのは無邪気な空想かもしれません。それでも嫁として妻として母として、焼き肉屋の女将として、与えられた役割に向き合う金桂仙さん(70)の生き様は、私に願い無くして未来は描けないという確信を与えてくれました。

 取材を始めたのは10年以上前でした。当時、大阪市内の街頭で白昼から排除と憎悪を煽る叫声が響き、本名で活動する在日コリアンの歌手は関西では殆どいない中、社会の片隅で息を潜めて生きる若い在日コリアンから金さんの歌を知りました。金さんはかつて両親の祖国、朝鮮半島の滋味あふれる歌曲を届けるプロ歌手でしたが、分断で幾度も夢を断たれました。歌は本来、安らかな日々やかけがえのない故郷への想い、人々をつなぎ平和への願いを奏でてきました。しかし時に国家権力は歌を愛国のプロパガンダ装置にし、分断を扇動する道具に変えました。歌が人々を引き裂いてゆく事態に呻吟した金さんは歌を断念しました。

 絶望の最中、支えになったのは金さん以上に分断の代償を背負った一世の夫でした。マッチ箱のような焼肉屋を共に営み、過労で幾度も倒れながらも女将の仕事に打ち込みました。ようやく生活が落ち着いた48歳で大阪音大に入学し、生まれ育った日本の伝統歌曲を身に付けました。卒業後は友人から日本と朝鮮半島、二つの祖国を生きる在日コリアンの歌も贈られました。還暦を前に金さんは日本の植民地統治下、内鮮一体のスローガンのもと海を渡り、取り残された韓国残留日本人妻に歌を届ける旅にでました。異郷で生きる在日と故郷を失った日本人妻。金さんのモノフォニーが、日本語を忘却した妻たちの歌声を誘ってホモフォニーとなり、妻たちが故郷を追憶し、自分だけの旋律を口にするポリフォニーとなりました。

 取材は10年を超えましたが、書きたくても書けなかったことばかりでした。済州島四・三事件など、大阪には今も新たな分断を恐れ、悲しむことすら許されない人々がいます。身を削りながら歌い続けてきた金さんの願いがこの受賞を新たな励みとし、この時代に少しでも響くことを願っております。末筆ですが、本書は金さんとご家族、編集者の浅野卓夫さんの限りない尽力なしには出版も、このご挨拶も叶いませんでした。深く御礼申し上げます。