山本美香記念
国際ジャーナリスト賞
山本美香記念国際ジャーナリスト賞は国際報道に関わったジャーナリストに対して贈られます。
山本美香記念国際ジャーナリスト賞は、2012年8月20日、中東シリアのアレッポにて取材中、銃弾に斃れた山本美香(享年45)のジャーナリスト精神を引き継ぎ、果敢かつ誠実な国際報道につとめた個人に対して贈ろうとするものです。
山本美香のジャーナリスト精神をひとことで言えば、不正義や不条理に対して何がどのように不正義で不条理であるのか、伝聞ではなく自分自身の目と耳でとらえ、世界中に発信しようとするタフな行動力のことであり、不正義や不条理がおこなわれているとすれば、それらの国々や地域において、生死のはざまをそれでも懸命に生きていこうとする人びとの姿を深い共感をもって世界中に伝えようとするヒューマニスティックな視座のことである。この両面を併せ持つ国際報道をおこなった個人の営為に対して、同賞を贈りたいと思います。
国際報道といっても、たとえば東日本大震災のような日本国内で起こった世界史的レベルの出来事についての報道も含まれます。映像、写真、文章、この三つのジャンルを選考対象とし、一年間を通じてもっとも素晴らしいと思われる国際報道にあたった個人を顕彰いたします。候補作は山本美香記念財団理事会・評議員会によって選定し、授賞作は選考委員会によって決定します。(文・髙山文彦)
山本美香記念国際ジャーナリスト賞は国際報道に関わる新たな担い手の登場を期待し、贈られるものである。
その対象としては写真、映像、記事であるが、ニュース性の高いドキュメンタリー映画(商業映画ではなく、ジャーナリズムの視点で撮られた映画)、および同様にニュース性の高いルポルタージュ(書籍や長期にわたる連載記事)なども含まれます。
(山本美香賞規定抜粋)
規定 | 授賞式 | 2025年5月下旬 |
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応募 | すべての個人や組織からの応募、推薦(自薦、他薦を問わず)によるものとする。 | |
受賞対象作品 | 山本美香記念国際ジャーナリスト賞は国際報道に関わる新たな担い手の登場を期待し、贈られるものである。その対象は、写真、映像、記事であるが、ニュース性の高いドキュメンタリー映画(ジャーナリズムの視点で撮られた映画)、およびルポルタージュ(書籍や長期にわたる調査報道などの連載記事)も含まれる。 ※日本国内で起こった世界史的レベルの出来事についての報道も含む。 |
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受賞対象者 |
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対象期間 | 受賞対象者は2024年1月1日より2025年2月末日までに発表された作品。 | |
賞金額 | 「30万円」、「副賞」 | |
応募方法 | 応募シート | 以下の「応募シート」に必要事項を記入の上、作品とともにお送りください。 |
郵送での送付先 | 〒167-0051 東京都杉並区荻窪3-36-14 一般財団法人 山本美香記念財団 「山本美香記念国際ジャーナリスト賞」受付 |
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締め切り | 作品・応募シートともに2025年3月5日(水) ※応募シート及び応募作品はともに締め切り日に必着とする |
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注意事項 |
■ 郵送・宅配便での送付の場合
■ 応募受付フォームからの送付の場合
■ 応募作品が外国語の場合
※作品が書籍等で郵送の場合も応募受付フォームからのデジタルデータの場合も、締切日までに作品が事務局へ到着していない場合は、応募無効とさせていただきます。 |
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お問合わせ | 詳細は、一般財団法人 山本美香記念財団 事務局までお願いします。 お問合わせフォーム |
4名の選考委員によって決定されます。(50音順・敬称略)
岡村 隆 (おかむら たかし)
1948年、宮崎県生まれ。編集者、探検家。月刊『望星』編集長などの本業の傍ら、約半世紀にわたってスリランカなど南アジアのジャングルに埋もれる遺跡探査を続け、多くの遺跡を発見。植村直己冒険賞を受賞。旅行ジャーナリストとしても各国を歩く。著書に『モルディブ漂流』『泥河の果てまで』『狩人たちの海』など。現在、NPO法人南アジア遺跡探検調査会理事長。
企業ジャーナリズムが危険や困難というリスクを恐れ、戦地や紛争地の現場取材に及び腰になっていった時期、その大切な役割を担って登場したのが、山本美香さんら一群の独立系ジャーナリストたちだった。「リスク」をめぐるその対比は誰の目にも鮮やかだったが、美香さんはそうしたリスクを一身に引き受ける形で凶弾に倒れた。世の中で誰かが担わねばならない、貴い役割のなかでの殉職であり、生きて伝えたかったものの大きさを思うと、その損失は計り知れない。
戦地や紛争の地で、そして社会や自然環境が激変する土地で、困難な生を余儀なくされる人々は、何を思い、どう生きているのか。それを伝えることで状況の改善に資するというジャーナリズムの役割は不変のものだが、途中には取材のほかに、世の人々に訴えて意識の変容を迫るという表現上の困難さもある。余人の厭う、それら多くの困難さを引き受けてでも、その役割を担おうとするのが真のジャーナリストの「志」なのだろう。
いま、疫病が世界を覆い、日本では権力との距離も取りざたされて、ジャーナリズムの困難さはさらに複雑さを増している。しかし、山本美香さんがそうだったように、誰かがやらねばならないその仕事を、深い思いと果敢な行動力で引き受ける人は後を絶たないはずである。美香さんの姿を彷彿とさせる、そんなジャーナリストの作品に出会いたい。
岡村 隆
河合 香織 (かわい かおり)
1974年生まれ。ノンフィクション作家。『ウスケボーイズ 日本ワインの革命児たち』で第16回小学館ノンフィクション大賞受賞、『選べなかった命 出生前診断の誤診で生まれた子』で第50回大宅壮一ノンフィクション賞、第18回新潮ドキュメント賞を受賞。他に『セックスボランティア』『帰りたくない 少女沖縄連れ去り事件』など。
山本美香さんが亡くなってから、ずっと考え続けている問いがある。
なぜ彼女は死ななければならなかったのか。
世界はますます分断と混乱を深める今、誰もが最前線に立っている。
問題の核は戦場だけにあるのではなく、私たちの日常を静かに侵食している。
このような時代だからこそ、山本美香さんが伝えたいと心から願った、バトンを渡したいと考えた思いを、私たちは受け継いでいかなければならないと思う。
伝えることは容易なことではなく、無力感に苛まれることも少なくない。
それでもなお、山本美香さんは伝えることを諦めなかった。
彼女の命は失われても、その映像や写真、文章は生き続け、声を発することをやめようとはしない。
この社会はひとりでは生き延びることはできない。
私たちが群れで生き残っていくために、一緒にこの世界の問題を考えてくれる仲間に出会えることを心から願っている。
河合 香織
髙山 文彦 (たかやま ふみひこ)
1958年3月、宮崎県高千穂町出身。法政大学文学部中退。ハンセン病作家の峻烈な生と死を描いた『火花 北条民雄の生涯』で第31回大宅壮一ノンフィクション賞と第22回講談社ノンフィクション賞を受賞。部落解放の父・松本治一郎の生涯を描いた『水平記』、笹川一族と昭和史に肉薄した『宿命の子』、水俣病をめぐる皇后と石牟礼道子らの深い交わりを描く『ふたり』など、歴史の闇に埋もれかけた人間存在に光を当てる重量感ある作品を多数発表している。高千穂あまてらす鉄道代表取締役、NPO法人山参会理事長として故郷の振興活動にも尽力する。
パンデミックに襲われている私たちの世界が、文明史の転換点に立っているのは明らかだろう。しかしながら、これ以後の世界が幸福になるかどうか、とても疑わしい。国家というものがある限り、繁栄競争と収奪合戦は終わるはずがないからだ。私もこれまでとは違う態度で世界を見ていきたい。「それは正しいか」ではなく、「それは美しいか」という観点だ。なぜなら「正しさ」は作り事がほとんどで、「美しさ」には作為がない。支配的な思想や潮流をなるだけ正確に相対化したうえで、自分自身はそれからも自由であろうとすること。人ひとりの生と死の形相を兄弟のように親身に受けとめて、遺言執行人のように正しく伝えようとすること。そういう人と作品を待ち望んでいます。
髙山文彦
吉田 敏浩 (よしだ としひろ)
1957年、大分県生まれ。ジャーナリスト。ビルマ(ミャンマー)北部のカチン人など少数民族の自治権を求める戦いと生活と文化を長期取材した記録『森の回廊』で大宅壮一ノンフィクション賞、『「日米合同委員会」の研究』で日本ジャーナリスト会議賞(JCJ賞)を受賞。著書に『赤紙と徴兵』『密約・日米地位協定と米兵犯罪』『沖縄・日本で最も戦場に近い場所』『横田空域』『日米戦争同盟』『日米安保と砂川判決の黒い霧』など。
山本美香さんの戦場取材・戦争報道の根底にあったものは何か。
それは、このようなものではなかっただろうか。
戦争の渦中で傷つき、倒れる人びとの立場から見たら、この現実は、この世界は、この歴史はどう見えるのかと、思念を凝らすること。もしも自分が同じ立場におかれたら、何を思い、何を求め、何を試みるのだろうかと、身につまされながら自問自答を繰り返すこと。そして、ジャーナリストとして何をすべきか、何ができるのかと、心揺さぶられながら反芻しつづけること。
きっとこのような問いを抱きつづけながら、最後まで歩みつづけたにちがいない。
山本美香さんが残した映像、写真、文章を通して、このような問いの存在を感受し、自らもまた自らの切実な問いを抱いて歩もうとする人たちが、この賞に心を寄せてくれることを願う。
吉田 敏浩
川上 泰徳 (かわかみ やすのり)
1956年、長崎県出身。ジャーナリスト。朝日新聞記者としてカイロ、エルサレム、バグダッド特派員、中東アフリカ総局長、編集委員などを歴任。2002年度、パレスチナ報道でボーン・上田記念国際記者賞。2015年1月から、中東をテーマにフリーとして活動。著書に『イラク零年』(朝日新聞)、『現地発エジプト革命』(岩波ブックレット)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)。
山本美香さんとはイラク戦争後のバグダッドで一度、仕事で会ったことがある。小柄で華奢な女性だが、強い意志を感じる目が印象的だった。彼女が内戦下のシリアのアレッポで死の間際に撮影したカメラには、戦闘から逃れ、かごに入れられて運ばれる赤子の姿が残っていた。「ああ、赤ちゃんが」という彼女の声も。
戦争は無人の荒野で起こるのではない。人々が子供を育てる生活の場が戦場となる。彼女が足を止めて残した幼子の映像を通して、最悪の状況でも、そこで生きる人間への共感を紡ごうとした彼女のまなざしに出会うことができる。彼女が現場から伝えた、いたるところで暴力が噴き出している中東の現実は、女性や子供など弱者が犠牲になる、この世界の縮図である。彼女の死によって、私たちは過酷な現実の中で生きる人間を見せてくれる、一人のジャーナリストという「目」を失ったのである。
人間を圧殺する過酷な現実は、日本の現実でもある。政治や社会の不条理を前に子供を抱えて不安や絶望に立ち尽くす親たち。社会で、家庭で、様々な形の暴力の犠牲になる子供たち。本賞を通じて、世界で、そして日本で、山本さんの意思とまなざしを継ぐ者たちの仕事に出会えることを期待したい。
川上 泰徳
最相 葉月 (さいしょう はづき)
1963年、神戸市出身。ノンフィクションライター。関西学院大学法学部卒業。科学技術と人間の関係性、教育、災害などをテーマに取材を行う。近年の関心は精神医療。近著は兵庫県こころのケアセンター長、加藤寛医師との共著「心のケア 阪神淡路大震災から東北へ」。他に「セラピスト」「れるられる」「ナグネ 中国朝鮮族の友と日本」など。
山本美香さんが伝える紛争地の女性や子どもたちの表情はいつも凛としていた。恐怖と怒り、憎しみと悲しみを乗り越え、生きる覚悟を決めた人だけがもつ瞳の強さがあった。弱者と呼ばれる彼らは本当は弱者ではなく、誰ひとり、人としての誇りまで失ってはいない。損なわれてもいい命などどこにもないのだ。美香さんを失った今、彼女が教えてくれたことがどれほどかけがえのないものだったかと痛感している。
今回、本賞を通じて、新たなまなざしと出会う機会をいただけることになった。道端に咲く花に目を留める繊細さと、暴力を許さぬ勇敢さと、真実を見極めようとする探究心をもつ次代のジャーナリストの応募を願っている。ただし、命を賭しても、命を落としてはいけない。危機管理を万全に調え、緊張感を持続させる。シリアのアレッポを歩く直前、それまでつけていたピンクのスカーフをはずすことを忘れていなかった美香さんのプロ意識を覚えていてほしい。
最相 葉月
関野 吉晴 (せきの よしはる)
1949年、東京都生まれ。一橋大学在学中に探検部を創設、アマゾン川全域を下る。その後、横浜市立大学医学部へ入学、医師となる。1993年から2002年にかけて、アフリカで誕生した人類が拡散した道を逆ルートでたどる「グレートジャーニー」に挑む。2004年からは「新グレートジャーニー 日本列島にやって来た人々」の3ルートを踏破。著書、写真集多数。探検家・医師・武蔵野美術大学教授。
国家、政府、権力者はメディアをも動かすことができる。多くのメディアはこれら大きな力を持っている者たちの発表をあたかも自分で取材してきたかのように垂れ流す。命の危険を冒してまで現場に向かい、自分の足で歩き、自分の目で見て、自分で聞き出し、自分で判断する。そのために戦場など、危険をはらんだ現場にも向かう。山本美香はまさにそのようなジャーナリストだった。
大きな権力の前で、些細なこととして忘れ去られ、ないがしろにされていくものにも目を向けていた。誰よりも、弱い者、切り捨てられ、存在さえ消される人たちにカメラを向け、マイクを向けてきた。
大本営発表とは対極の、不利な立場の、攻撃される側の現状を伝えることこそに意義があると感じていた。
また、彼女はアフリカの子ども兵にも目を向ける。彼らは何も知らずに、場合によっては麻薬を利用して洗脳して戦場に送りだされる。彼らは被害者でもあり加害者でもあるという立場に立たされる。平和が来たとしても彼らには大きなトラウマが残るだろう。
理不尽な大義名分を掲げて始まった戦争の一番の被害者は女・子供を中心に弱い立場の民間人だ。現場に入り、彼らの声なき声を拾い上げて報告する、第2の山本美香の出現が期待される。しかし現状は若いジャーナリスト希望者が減っている。
このままでは力を持った国、権力者、巨大メディアの思い通りの世界が作られてしまう。若い、現場の声を拾い上げる、行動力のあるジャーナリストの出現を期待したい。
関野 吉晴
野中 章弘 (のなか あきひろ)
1953年、兵庫県出身。ジャーナリスト。アジアプレス・インターナショナル代表。早稲田大学(政治経済学術院/ジャーナリズム大学院)教員。80年代より、インドシナ紛争、ビルマ、アフガン内戦、東ティモール独立闘争や朝鮮半島、中国情勢の取材を続ける。90年より、ビデオジャーナリスト的な手法でニュース、ドキュメンタリーの制作を行う。近年は大学でジャーナリスト養成教育に注力。
この社会で埋もれていく声なき声に耳を傾け、闇の中でも輝きを失わない人間の精神に光を当てる。
山本美香はこのようなジャーナリストのミッションを心に刻みながら、45年の生涯を駆け抜けていった。彼女はもっとも不条理で過酷な現実を生み出し続けている戦争や紛争の現場に立ち、その不条理への「怒り」とそこで生きる人びとへの「共感」を行動の原点としてきた。
今も世界のいたるところで、山本と同じような思いを抱きながら、戦争や紛争、さまざまな社会の矛盾と向き合い、それを記録して伝えようとする多くのジャーナリストたちがいる。彼らの存在はわたしたちに大きな希望を与えている。
本賞は有名、無名を問わず、そのような「志」を貫く力と人間への「優しさ」を併せ持つジャーナリストたちのものである。「この社会を少しでもよくしていきたい」と願った山本美香の意志を受け継ぐ人たちとの出会いを心から望む。
野中 章弘
吉田 敏浩 (よしだ としひろ)
1957年生まれ。ジャーナリスト。ビルマの少数民族の自治権闘争と生活・文化を取材した『森の回廊』で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。近年は戦争のできる国に変わるおそれのある日本の現状を取材。著書に、『密約 日米地位協定と米兵犯罪』『赤紙と徴兵』『沖縄 日本で最も戦場に近い場所』『反空爆の思想』など。
笠井 千晶 (かさい ちあき)
ドキュメンタリー監督・ジャーナリスト/1974年生まれ。山梨県市川三郷町出身。お茶の水女子大学英文科を卒業後、15年のテレビ局報道記者経験を経てフリー。東日本大震災後の福島を描いた初監督作品のドキュメンタリー映画『Life 生きてゆく』で、第5回山本美香記念国際ジャーナリスト賞受賞(2018年)。同映画の舞台裏を執筆し、第26回小学館ノンフィクション大賞を受賞。作品は書籍化され、『家族写真 3・11原発事故と忘れられた津波』として小学館より刊行(2020年)。テレビ、映画、ネット配信など幅広くドキュメタリー制作を生業としている。
山本美香さんと初めてお会いしたのは、2010年11月11日。早稲田大学近くのレストランでした。後日、改めて食事に誘って頂くと、同じ山梨県出身で元テレビ局記者同士、共通の話題で話が弾みました。私より少し年上だった山本さんが、「笠井さんもいずれ同じ悩みを持つ時が来るよ」と私の将来に親身になってくれたことが印象に残っています。この時思ったのは、私がいずれフリーになろうと思った時は、「まず山本さんに相談しよう」ということでした。
その数ヶ月後、東日本大震災が発生し、私は福島に足を運び始めました。山本さんも私が通っていた場所の隣町に足を運んでいたと、後に知りました。私は2015年にフリーとなり福島での取材を続け、長編ドキュメンタリー映画を完成。その作品は、本賞の第5回大賞に選んで頂きました。「きっと山本さんが背中を押してくれている」と、言葉にできない何かの縁を感じました。
私が亡くなった山本さんと同じ年齢になった時、審査員のお話を頂きました。自分がこの先の人生で成し遂げたいと思うジャーナリストとしての仕事と、すでにこの世にいない山本さんの心残りが、少しだけ重なって見えました。審査員の一人として、山本美香さんの想いと共にありたいと願います。それは、良心的なジャーナリストが正当に評価される場を守り繋いでいくことだと考えています。
笠井 千晶
藤田 博司 (ふじた ひろし)
1937年、香川県生まれ。共同通信社入社後、サイゴン(現ホーチミン)特派員、ニューヨーク支局長、ワシントン支局長、編集委員、論説副委員長などを歴任。元上智大学教授。朝日新聞「報道と人権委員会」委員、ボーン・上田記念国際記者賞委員会常任幹事。著書に『アメリカのジャーナリズム』(岩波新書)など。
山本美香さんは、2003年度のボーン・上田記念国際記者賞特別賞を受賞された。この賞は国際報道の分野で優れた業績をあげたジャーナリスト個人に贈られるもので、1950年の創設以降、主に在京新聞社や放送局に所属する記者の仕事が選考の対象になっていた。
しかし米軍のイラク侵攻が始まった2003年度のボーン・上田賞選考委員会ははたと困惑した。この国際報道の大イベントの現場に立ち会った日本のメディアの記者がいなかったからだ。大手各社の記者に代わってバグダッドからニュースを送り続けたのは、山本さんらごく少数のフリーランスのジャーナリストだった。
その年のボーン・上田賞は半世紀を超える伝統を破って初めて、山本さんと同僚の佐藤和孝さん、綿井健陽さんの三人のフリーランスの記者に贈られた。
その後の山本さんの報道現場で活躍する姿を見るにつけ、あのとき選考委員会が迷うことなく異例の贈賞を決断したことはまちがっていなかったと、委員の一人としていまもひそかに誇らしく思っている。
藤田 博司
船戸 与一 (ふなど よいち)
1944年、山口県下関市生まれ。世界の紛争地帯を取材し、冒険小説の新たなジャンルを確立。『山猫の夏』で吉川英治文学新人賞と日本冒険小説協会大賞、『砂のクロニクル』で山本周五郎賞ほか、『虹の谷の五月』で直木賞など著書・受賞歴多数。小説の他に『国家と犯罪』、『叛アメリカ史』(豊浦志朗名)などの国際ルポルタージュがある。
二十世紀型の国家間戦争とちがい、内戦はいつはじまったのかを規定することも、いつごろ終わるのかを予測することもきわめて厄介で、その方法論は仮説すら試みられていない。しかも、冷戦時代に大量生産された余剰武器がそこに流れ込む。山本美香はそういう内戦の地シリアで取材中に銃撃されて死んだ。国際的紛争地からの報道を十五年以上つづけて来たヴェテランがVTRカメラを手にしたまま戦死したのだ。
そのカメラはこれまで内戦の地で暮す住民たちの悲哀や苦悩だけでなく、その逞しさも同時に捉えて来た。これには経験が要る。たまさかの目撃者では明らかに限界があるのだ。職業ジャーナリストでなければ無理なのである。もちろん、どれほど秀れた報告であろうと、内戦の全容を摑めるわけがない。だが、わたしたちは山本美香の映像と高論によってその一端を窺うことができたのだ。シリアでの死は残念至極だが、その志操を受け継ごうとする予備軍は相当数いるはずだ。新たな職業ジャーナリストの出現を待つしかない。
船戸 与一